2月26日。
能登半島地震被災地の穴水町にある、さわやか交流館プルートへ炊き出しに行ってきました。
本当にたくさんの方の応援、ご協力のおかげで行くことができ、そして無事帰ってくることができました。
感謝とともに、簡単な活動報告と私の思いをお伝えします。
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ボランティアメンバーは、
千葉から車1台に3人(達さん、こんちゃん、私)
岐阜から車1台に3人(酒向さん、加藤さん、まなみん)。
耕師~たがやしし~である達さん、酒向さんを中心に集まったメンバーです。
※耕師とは、岡本よりたかさんが主宰するたねのがっこう郡上本校にて、無肥料栽培のセミナー講師となるべく、岡本よりたかの理論を1年間勉強してた講師。全国に10名いる。(参考:https://okamoto-design0u0.com/news/63875b5af0bdc45431a7b3fe 2024/2/6確認)
ブラウンズフィールドからは、私とこんちゃんの2名が参加しました。
穴水町までの道のり
炊き出しの前日、仕事終わり18時、
千葉県いすみ市のブラウンズフィールドを出発し、達さんの運転で、能登へ向かいました。
運転したい気持ちは山々だったけれど、
達さんに「自分がするから大丈夫」と言われ、
慣れない道だし、人の車だし、雪降ってるし、下手に運転できないなと思い、有難くお任せしました。
午前2時ごろ、能越自動車道能越県境PAに到着し、仮眠タイム。(私とこんちゃんは走行中も寝ていたけれど、、、)
午前6時ごろ、PAを出発し、穴水町に向かいました。
穴水町に近づいていくにつれ、地震の被害が大きくなっているのがわかりました。
地震によって、歪んだ道。
歪むどころではなく崩れ落ちている道。
崩れ落ちた道にハマったままの車。
ニュースでしか見たことが無かった情景を初めて自分の目で見ました。
車で走っていて、急に地震が来て地面が崩れ落ち始めたら、、、ということを想像したら恐ろしくて鳥肌が立ちました。
崩れた道にそのままになっていた車に乗っていた人は無事に逃げられたのかな…
被害の大きさに衝撃を受けたと同時に、
このような被害があったにも関わらず、
迂回して通れる舗装された道が、もうちゃんと作られていることも衝撃的でした。
一本道の所が多いし、雨雪も降っていたが、ゆっくり気をつけて走れば問題なく通行することができました。
地震の後に、道路を整備したり、作り直したりしてくれた人たちがいるから、
必要なモノや必要な人たちが現地に辿り着けます。
道を整備してくれた方々に尊敬と感謝の気持ちが湧きました。
高速を降りて穴水町に入ると、崩れた道だけでなく、崩れ落ちたお家もありました。
殆どのお家は写真のお家ほどの崩れてはおらず、無事そうに見えましたが、実際どのくら被害があり、今どのような生活をしているのか、住民の方に聞けたわけではないのでわかりません。
炊き出しのこと
炊き出しでは、以下のものを約250人の方に配布しました。
- ごはん(酒向さんが育てたお米)
- 豚汁(野菜や豚肉は寄付)
- 梅干し(ブラウンズフィールド自家製)
- ふりかけ
- お茶(寄付)
- スポドリ(寄付)
今回、食材だけでなく、容器、調理器具、水、ガスなど、炊き出しに必要なすべてのものを自分たちで用意する必要があり、全て車に積んで持っていきました。
千葉チームは、ガスボンベと大鍋、ガスコンロ、水などを持っていきました。
ガスボンベは、いつもブラウンズフィールドがお世話になっているガス水道屋さん「キミヅカさん」から寄付して頂きました。
大きなお鍋や大きなコンロ、調理器具などは、自分たちで揃えたり、応援してくれる方々からお借りしました。
工夫して、テトリスのように積み込み、器具同士がぶつかってガチャガチャ言わないように、緩衝材などを挟みました。
車は、パンパンでした。
お米は研いである状態で、野菜もカット済みで岐阜チーム持ってきてくれました。
下準備には、沢山の方が協力してくれたそうです。
その他、味噌や油などの食材や、テント、水、鍋、炊飯器などなども岐阜チームが持ってきてくれました。
岐阜車もパンパンでした。
お金の寄付以外にも、物資の寄付や、お米や野菜の下準備など、本当にたくさんの方の応援があってこの活動が出来ているということを実感しました。
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炊き出しに行くことが決まってから、当日まで何度かオンラインでミーティングをし、チャットでもずっと話し合いをしていました。
どの人がどれを用意するか、誰から何を借りるか、どういったスケジュールで動くかなどを、事前に綿密に話し合っていたので、当日、足りなくて困ったものは特になく、スムーズに炊き出しを行うことができました。
大変だったのは、配布時間。
配布開始時間には、長蛇の列ができていました。
地元のボランティアの方にも手伝っていただき、流れ作業で盛り付け、配布しましたが、バタバタでした。
計算より多めにお米をよそってしまっていたらしく(量っていたわけではないので、米が無くなる直前まで気が付かなかった)、途中でお米が無くなってしまい、予備のお米を追加で炊きました。
配布を受け取りに来た方がまだ並んでいる中、お米が足りなくなってしまったので、
かなり焦りました。
列の方々には、数十分待っていただくことになってしまいましたが、無事列の最後の方までお米を配布することができました。
食後に、美味しかったことや感謝の言葉を伝えに来てくれる方が沢山居ました。
ネット情報ではありますが、被災地ではカップ麺やお弁当などを食べていることも多いそうです。
だから、温かいごはんと豚汁は、きっと喜んでもらえたのではないかと思います。
被災者のお話
炊き出しの後、交流館の職員の女性が、地震が起きたときのことと、起きてから今までのこと、これからのことを話してくれました。
ニュースや新聞から情報を入れないようにしているの。
とその方は仰いました。
メディアから入る知人の被災情報に涙が止まらなくなる、と。
外からの情報は何も入れないようにし、自分の意志と考えで行動しているそうです。
とても明るくて温かい女性でしたが、色々な思いがある中で、前を向いて生きているんだということを知って、心をぎゅうぅと押しつぶされたような気持ちになりました。
帰り道に思ったこと
被災地の方々の生活の中で、私たちが行った炊き出しは、とても小さな出来事かもしれません。
けれど、お腹を満たしてもらったり、元気になってもらったりと、少なからず力になれただろうと思います。
そして、このように発信して、被災地のことや炊き出しのことを多くの方に知ってもらうことにも意味があると思います。
また、今回の活動は、私にとっては、初めての炊き出しボランティアだっただけでなく、
初めての被災地訪問であり、初めての能登半島訪問であり、初めての車中泊でした。
私自身にとっても、大きな意味のある経験となりました。
帰り道、再び崩れ落ちた道路を目にし、
私たちが安全に行って帰ってこられたことは、当たり前な事ではないなと感じました。
また大きい余震が起きるかもしれなかったし、帰れない事件が起きるかもしれません。
また、当初の予定では、炊き出しを夕方終えて、そのまま千葉へ帰ることになっていました。
しかし、炊き出しを終えて、そのまま帰るには皆、疲れすぎていました。
前日から仮眠しか取っていないですし、早朝から、初めての場所で初めての作業。そりゃ疲れます。
相談の結果、宿に泊まってから帰ることになりました。
そんな選択が出来たのは、寄付のおかげです。
寄付金は、交通費や食材費など、炊き出しに必要な最低限の費用に使わせていただいただけではなく、
ボランティアメンバーの食費や宿泊費にも使わせて頂きました。
おかげさまで、心身ともに元気に活動を終えることが出来ました。
宿泊することや、地元のお店で食事することも、能登を応援する1つの方法だと思います。
ブラウンズフィールドの皆には、能登のお土産「氷見うどん」を買いました。
能登の手延べうどんだそう。
一昨日、あんかけうどんにして食べましたが、めちゃくちゃ美味しかったです。
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ブラウンズフィールド生活の中で、能登半島へボランティアに行くことは、簡単なことでは無いけれど(遠いですし、ブラウンズフィールドの日々が忙しすぎる)、またタイミングが合えば是非また行きたいと考えています。
今回、一緒に活動した表面上のお友達(自称)
酒向さん、
加藤さん、
まなみん、
達さん、
こんちゃん
本当に本当にありがとうございました。
応援してくださった皆さまも本当に本当にありがとうございました。
私が住む千葉でも最近、地震が続いています。
皆さま、お気をつけて。
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今回の活動の詳細は、酒向さん
@yamanohatae の投稿をご覧下さい。
スケジュール、活動内容などまとめてくださっています。
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